NORTH LIFE

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最近、すごくハマって読んだ本があります。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのかです。
kimura.jpg
息子が柔道をやってることもあって興味があった本だけど
なかなか出会うことができなかったんだけど
たまたま地元の図書館に行ったときにこの本があってソッコー借りてしまいました。

上下2段、700ページのゴッツイ本だけど読み出したら止まらない感じで
木村政彦の生涯にのめり込んでしまいました。

全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退した伝説の柔道家。

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ

現在においても史上最強の柔道家と称されることが多いです。

1917年(大正6年)9月10日熊本生まれ。
小学校時代、掃除の最中にふざけていたところを先生にドツキ廻され
復讐のために近所の柔道場に通い始めるんだけどこの辺が子供時代からかっこいい。

家業が河川の砂利掬いをしてため、子供の頃から川で砂利を掬い
船に乗せ建設業へ卸す営みを手伝ううちに
磐石の下半身と常人以上の背筋力、そして凄まじい腰の強さや腕力を身につけていった。

鎮西中学時代に柔道4段を取得(全国でも数人しか居なかった)
そして全国優勝へ導いた。
この頃から熊本に神童ありと言われるようになる。

そして生涯師匠として仰ぐことになる牛島辰熊に見出され拓殖大へ進学。
1936年6月に阿部謙四郎に敗れた後は公式戦の個人戦では無敗。

木村政彦の練習量は、半端ではなく、拓大に入ってからの最盛期には、1日10時間を超えていました。

1936年(昭和11)は、学生柔道の団体戦として、最もレベルが高いといわれる高専柔道に大将として出場し、拓大予科で全国優勝。
1937年(昭和12)10月拓殖大学予科3年在籍時に現在の全日本選手権にあたる全日本選士権で
初出場にして初優勝を果たす。
しかも学生が普通出場する一般の部ではなく、プロの出場が認められている専門の部での快挙であった。
1937年から1939年(昭和14)は、3年連続全日本選士権優勝。

1940年(昭和15)に、全日本選士権の代替で開催された天覧試合で優勝。
kimura2.jpg
試合後、天皇から下賜された短刀を持っての記念写真。

その後も、大小の大会で、不敗を誇りますが、1942年(昭和17)に、兵役で、柔道を離れます。
この兵役中のエピソードもかなり面白いのですがそのあたりは是非本を読んでください。

戦後は、練習不足で、さらにブランクもありましたが、1949年(昭和24)の全日本選手権で優勝します。
この試合の前の日は日本酒を3升程飲みしかもほとんど一睡もせず試合に挑み優勝してます。

1950年(昭和25)に、師匠の牛島辰熊の旗揚げした国際柔道協会、いわゆる「プロ柔道」に参加します。

プロでも、木村政彦は1度として敗れませんでしたが、「プロ柔道」の客足は次第に遠のき、
スポンサーの経営不振も重なり、給料の未払いも多くなります。

時を同じくして、妻の病気治療のため、多額の金が必要となり、
「プロ柔道」を脱退し、プロレス入りを決めます。

前述のように、多額の金が必要だったからといわれています。

1951年(昭和26)に、ブラジルで、プロレスの興行とともに、柔道の指導をしています。

ブラジルでは、講道館柔道ともゆかりや関係などもある前田光世からの流れを汲むブラジリアン柔術(いわゆるグレーシー柔術)のエリオ・グレーシーと対戦し、試合は木村政彦が腕緘(いわゆる「キムラロック」)で、エリオ・グレーシーの腕を折ってます。
この時点で、試合続行は不可能でしたが、エリオ・グレーシーは、ギブ・アップせず、危険を感じたエリオ側のセコンドがタオルを投入し、試合は木村政彦の一本勝ちとなりました。

本書中でもハイライトのひとつ!
エリオ・グレイシー対木村政彦



君は木村政彦を知っているか



ざっと人生の4分の1ほどのことを書いてみたが
実際の激動の人生はこの後からです。

ブラジルでのエリオグレーシーとの1戦や本書の一番の中心となる力道山との1戦。
その後拓大柔道部監督として、柔道界に復帰し、数年後には、拓大を全日本学生柔道優勝大会で優勝に導いたり、後の全日本選手権に優勝する岩釣兼生らを育てたりしています。


柔道に興味のある人はもちろん格闘技好き人もまったく興味のない人でも
存分に楽しめる本です。
昭和の時代に生きた本物のレジェンド「木村政彦」
最高のエンターテイメントです。

kimuralock_20121110153004.jpg
キムラロック(腕がらみ)でエリオの腕を折る木村

エリオ・グレイシーは木村政彦の死後6年たった1999年、長年の夢だった初来日を果たし柔道の総本山である講道館を訪ねました。その際、資料室で木村の写真を見ながら目に涙を浮かべていたそうです。

その後、95歳まで生きて大往生を遂げたエリオ・グレイシーは最晩年、こう言っています。

「私はただ一度、柔術の試合で敗れたことがある。その相手は日本の偉大なる柔道家木村政彦だ。彼との戦いは私にとって生涯忘れられぬ屈辱であり、同時に誇りでもある。彼ほど余裕を持ち、友好的に人に接することができる男には、あれ以降、会ったことがない。50年前に戦い私に勝った木村、彼のことは特別に尊敬しています」

対戦相手にここまで言わせる木村政彦の魅力を是非感じてください。

マジで面白いです!!

DSC_0169.jpg



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